「使ったお金=満足」とは限らない。人生の難しさって、そこにある。

節約

あの早朝のカップヌードルが教えてくれたこと

小学生の頃、家族で祖母の家まで車で行くことになった。片道12時間。夜中に出発し、車の中でぐっすり眠って、目を覚ましたのは早朝のサービスエリアだった。

まだ薄暗くて、外はちょっと寒かったのを覚えている。眠気と空腹の中で、買ってもらったのは日清のカップヌードル

あれは、たぶん人生で一番おいしく感じたカップラーメンだと思う。今でもその味、あの匂い、目に入った湯気までが記憶に残ってる。

たった数百円。でも、あの日の満足感は、今までのどんな高級なランチよりも深く刻まれている。


高額なモノは必ずしも満足をくれない

一方、大人になった今。最近ふと思うのは、「高いお金を払ったからといって、満足できるわけじゃない」ということ。

少し前、奮発して買ったノートパソコンがあった。スペックも高くて、値段もそれなりにした。でも実際は…買ってからほとんど使っていなかった。

「これ、もったいないな…」そんな思いがあって、「せっかくなら使い倒してやる!」という意地でブログを始めた。今では多少活躍してくれているけど、正直ここまで高いスペックはいらなかったかもしれない。

“満足”というより、“罪悪感からの活用”に近いかもしれない。


手軽な器具で感じる小さな達成感

逆に、満足度がめちゃくちゃ高かった買い物もある。それが、腹筋ローラーとプッシュアップバー

どちらも数千円で買えるシンプルな器具。場所も取らないし、気が向いた時にサッと使える。ジムに通うわけでもないし、目に見える成果が出てるわけでもないけど、やった日は「今日もちゃんとやったぞ」と小さな達成感がある。

高くなくても、こんなに気持ちが満たされるものもあるんだなと思う。たぶん、“使い方”と“意味”が噛み合うとき、そこに本当の満足感が生まれるのかもしれない。


お金で買えない、子どもとのかけがえのない時間

お金を使えば満足できるとは限らない。でも、お金をかけずに満足できる瞬間は、実はたくさんある。

たとえば、子どもとの時間。うちには小学生の娘と息子がいるけど、正直なところ、「高いお金を使った思い出」よりも、「一緒に遊んだだけ」の日の方がよく覚えている。

僕自身、父と近くの公園で遊んだ記憶が、いまだに強く残っている。滑り台で一緒に滑って、キャッチボールして、ちょっとアイスを買ってもらって。そんな時間の積み重ねが、きっと“愛された記憶”として刻まれているんだと思う。


「時間の使い方」にこそお金を惜しまない理由

だからこそ、僕は「時間の使い方」にはお金を惜しまない。習い事も、あえて“高くても近い教室”を選んでいる。移動に時間をかけるより、子どもと家で過ごせる10分を大切にしたいから。

「満足のためのお金」と「意味のあるお金」、この違いも最近よく考える。

どちらも大事だけど、“今の自分を満たすためだけ”の出費って、後から後悔することが多い気がする。「これ、本当に必要だった?」と問い直したくなる。

だからこそ、最近は「10年後の自分がこの買い物をどう思うか?」を意識している。たとえば車のオプションひとつ選ぶときも、「今かっこいいと思うだけなのか、それとも未来でも必要なのか?」そんな目線で考えると、意外と「本当はいらないもの」って見えてくる。


お金じゃ測れない満足こそ人生の豊かさ

使ったお金=満足、とは限らない。むしろ、“お金じゃ測れない満足”こそが、人生の豊かさかもしれない。

これからも、もちろんお金は使う。でも使うたびに、思い出したい。

あの早朝、サービスエリアで食べたカップヌードルの、あの味と温もりを。


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