1000万円、いつの間にか通過してた。
「貯金1000万円」って、どこか特別な響きがある。 だけど、実際にそのラインを超えて感じたのは──
“え、いつの間に?”という拍子抜け感だった。
頑張って節約して、残業して、我慢して…そんなイメージとは少し違って、
僕にとっては「日々を楽しみながら」積み上がっていった結果だった。
1000万円貯まっても、「大丈夫」は来なかった。
到達したからといって、心に平穏が訪れたわけではない。
むしろ、「子どもたちの将来にかかる費用って、いくらになるんだ…?」
と、安心よりも“終わりなき不安”の方が大きくなった気さえする。
でも、不安は「怖さ」ではない。
あくまで“未来を意識するきっかけ”としての存在。
それに、今働けてるし、健康にも感謝している。
健康でいられる限り、なんとかなる。そんな前向きさも持てている。
生活は変わらず。だからこそ続く。
1000万円という数字を超えたからといって、暮らし方は変わらない。
もともと無理な節約もしてないし、贅沢もしない。
むしろ、変わらなかったことこそが、続けられた理由かもしれない。
月15万円をコツコツ投資にまわして、支出はコントロール。
楽天のセール時にまとめ買い、ポイント還元もぬかりなし。
自分のペースを保てたから、気づけば1000万を超えていた──そんな感覚だ。
物欲が消えた。欲しい車も、いらなくなった。
もともと、1000万円を超えたら
「余ったぶんで車でも買うか!」と思っていた。
たとえば1400万円なら、400万円の車を買う──そんなイメージ。
でも、実際にその水準に近づいた瞬間、急に冷めた。
「あれ、今の車で良くない?」
この感覚は、自分でも驚いた。
貯めることより、使うことのハードルが上がったというか、
「本当に必要なことにお金を使いたい」という気持ちが強くなったのかもしれない。
“お金”より“時間”のほうが気になってきた。
最近、ふと思うことがある。
「時間って、思った以上にお金より貴重なんじゃ?」と。
例えば、高速道路を使うとき。
前は「もったいないから下道で…」とケチってたけど、今は違う。
時間のゆとりや、体力温存の方が大事だと思えるようになった。
そういう“使い方の基準”の変化も、1000万の副産物かもしれない。
人生は、金額じゃ測れない。
貯金1000万円。それ自体に劇的な変化はないかもしれない。
でも、変わったのは“自分のお金に対する向き合い方”だった。
子どもの将来、家族との時間、健康、働き方。
これらを考える土台ができたのが、1000万円の「価値」なのかもしれない。
まだまだFIREは遠いけど、今の暮らしを整えながら目指していく。
このまま、あと何回“気づいたら”を積み重ねられるか──それが楽しみだ。
📩 ブログ読者限定のお得情報や、月1回の資産推移報告も発信中!
X(旧Twitter)やブログをフォローして、いっしょに資産形成していきましょう。
コメント